研究を続けること

先日、「どうして大学を移ったんですか?」と、若手研究者の方から質問されました。私のキャリアに関心がある人がいるとは思わなかったのですが、もしかすると研究者のキャリアで悩んでいる人に何か役に立つかもしれないのでここで思い切ってお話ししてみます(小恥ずかしいのであとで削除するかもです)。

私がPh.D.を取得したのは2006年で35歳のときです。博士号取得までのストレスのせいか、命にかかわるような病気になって入院・手術もしました。

運良く、翌年2007年から任期付きの准教授の職を得たのですが、任期があるためになかなか落ち着いて研究することができませんでした。もしかすると残れるかなと期待もしたのですが、やっぱりダメでテニュアではない助教の職をなんとか得て次の大学に異動しました。私の場合、任期付きの4年間は仕事を探すため不安定な状況で、研究に打ち込めるような環境ではありませんでした。そうして、2011年に40歳で任期無しの准教授の職をはじめて得ました。それまでに出した公募は30件程でした。

就職できたので、40代になって、今度は子どもを持つことについてはじめて考えられる状況になり、妊娠できるかという問題に直面しました。運良く翌年出産したのですが、最初の任期無しの仕事と赤ちゃんの世話が同じ頃に始まって、研究時間を絞り出すのがとても難しかったです。明治大学は本当にいい大学で、働きやすく、とにかく学生さんたちが素晴らしい。たぶん子育てを担っている教員でなければ研究もできるのではないかと思います。私の場合、一般教養の授業週5-6コマと、さまざまな校務、幼児の世話、かつ相方が会社員で単身赴任ですごくしんどくて、研究時間はなかなかとれませんでした。職場の居心地はよかったですし、教授に昇格もできましたし、相方もできる限り家事育児をしていたので、周囲の個々人のせいではなく社会の仕組みによりこうなっていると思いました。授業と子育ての隙間時間に書いていた毎日新聞のコラムが予想外にバズって「ワンオペ育児」という語が流行語になったのですが、この改善すべき状況を必死に世の中に伝えようとしていたのでした。

子どもが10歳頃になって育児時間が減り、自分が博士課程を修了してから研究を十分できていないことにすごく悩むようになり、軽い鬱になった時期もありました。できる限りは研究をしてきたのですが、それでもまとまった時間がないと厚いフィールド調査や海外での研究活動はなかなかできません。自分に残された年数もかなり減ってきました。コロナ禍が収束しつつあった年に思い切って、研究中心にみえる職の公募にダメ元で挑戦してみることにしました。また一から新しい人間関係やら昇格審査やらいろいろ不安だし、いまさら応募するのも恥ずかしいし面倒だし・・・とたくさんの理由をあげてやっぱやめようと100回は思いました。が、何も挑戦しないよりは、落とされて研究をすっぱり諦めるきっかけにしようと思い直しました。

そうして、公募で採用していただいたのが今の本務校です。私のでこぼこなキャリアは運が良く恵まれている面と、女性+子育てというディスアドバンテージに影響を受けた面とが混ざっているように思います。いまだキャリア形成の禍中にいる身ですし、もっと困難を抱えている方がいるのにおこがましい気もしますし、自分のダメさにため息をつくことも多いのですが、質問してくれた若手の方に参考になることが少しでもあれば幸いです。ここまで書いてみて、周囲のみなさまに感謝しつつ、私がこれからしなければいけないことは研究と、研究を志している院生や若手研究者のサポートだとあらためて思いました。オチがなくてすいません。